日本の唱歌【故郷】(ふるさと)の歌詞の意味、作られた背景など詳しく説明します♪
唱歌「故郷」は、日本人にとってとても大切な歌の一つであり、郷愁や故郷への愛情を深く感じさせてくれる曲です。
「故郷」の歌詞は、幼少期に過ごした自然豊かな風景や家族・友人への想いを描いており、都会で暮らす現代の人々にとっても共感を呼ぶ内容です。日常の中で、「帰りたい場所」という普遍的なテーマが、多くの人の心に響きます。
唱歌 「故郷」について
作詞者 : 高野辰之(たかのたつゆき)について
1876年(明治9年)長野県水内群永江村(現中野市永江)豪農の家に生まれました。下水内高等小学校高等小学科を卒業。
1890年5月永田尋常高等学校授業生(代用教員)となった。しかし3年後長野県尋常師範学校に入学し、
その後卒業して、1898年6月国語科の師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許状を取得。
1898年9月に上京。東京帝国大学の国語研究室で、国文学者の上田萬年に師事、国文学を学んだ。
上田萬年の出会いが、国文学者として多くを学び、後に小学校唱歌教科書編纂委員に加わり、故郷などの多くの唱歌が生み出されました。
また、100曲位の校歌を作っています。
作曲者:岡野貞一(おかのていいち)について
1878年(明治11年)鳥取県邑美群古市村(現在の鳥取市)士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校へ進学。
1892年、キリスト教として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。
東京音楽学校(現東京芸術大学)の第2代校長である同郷の村岡範馳が1892年に鳥取で行った講演に影響され、その後上京して東京音楽学校に入学しました。
そして、大学を卒業して1906年に東京音楽学校助教授、1923年に教授(声楽)となり、1923年に退官するまで音楽教育の指導者の育成に尽力した。1018年より文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員であった。
歌詞の意味
【 歌 詞 】 【 歌詞の意味 】
一
兎追いしかの山 兎を追いかけたあの山よ
小鮒釣りしかの川 小鮒を釣ったあの川よ
夢は今もめぐりて かつての夢は今もめぐってきて
忘れがたき故郷 忘れることのできない故郷よ
ニ
如何ににいます父母 どのようにしておいでだろうか
つつながしや友がき 元気でいるだろうか 友達よ
雨に風につけても 雨が降り風に吹かれるたびに
思いいずる故郷 思い出される故郷よ
三
こころざしをはたして 志を果たして
いつの日にか帰らん いつの日にか帰ることが出来るのだろうか
山はあおき故郷 山は青々と美しい故郷
水は清き故郷 水は清らかに流れる故郷
引用文献:唱歌の社会史:なつかしさとあやうさと
唱歌「故郷」が作られた時代背景
「故郷」は大正3年に作られた歌ですが、時代は明治初年にさかのぼります。日本が近代国家を目指し、教育改革を行い明治5年に、学制が施行されてました。これにより音楽の授業が、学校教育に取り入れられました。しかし、学制が発布された当初は、資料、教科書、人材もなく、最初は授業は実際には行われなかったようです。
教育の充実を図ると言っても政治色の強い教育内容でありました。唱歌においても、日本の風景、風習、訓話などを歌ったものが多かったようです。
明治15年に日本初の官制の音楽の教科書「小学校唱歌集」初編、明治16年に第二編、明治17年に第三
編と連続して発表されました。しかし、この時の唱歌の多くは外国の旋律に日本語の歌詞を付けたものが多かったようです。
明治20年に東京音楽学校※(旧音楽取調掛)設立
※音楽取調掛 明治12年(1879年)に文部省内に設置された、音楽教育の研究や音楽教師の育成を目的とした機関です。
明治の初め、日本人の洋楽の受け入れはとても困難でした。それまで日本の音楽というと雅楽、筝曲、能楽 などが伝統として受け継がれていました。
日本人の洋楽の受け入れは、とても困難でした。洋楽に関する情報が庶民にはなかったことが、その進歩を大幅に遅らせたことがわかります。
その陰で、唱歌教育から始め、日本独自の唱歌を作り、音楽の教科書の礎を築いた伊澤修二、岡野貞一、瀧廉太郎、井上武士など音楽家のたゆまない尽力のおかげで、日本の唱歌の礎が築かれていきました。
明治23年に※「教育勅語」により教科用図書の統一が進み、同年「小学校令」により教室の設備してのオルガン、講堂にはピアノが設置されました。
※教育勅語(きょういくちょくご)とは、明治天皇が1890年(明治23年)に国民教育の根本理念を示した言葉で、国民道徳の基準や教育の基本方針を定めたもの。
明治44年から大正14年にかけて、歌詞も旋律もすべて日本人のてによって作られた官製の「尋常小学唱歌」が刊行されました。この時に「故郷」が作られたのです。
出典:明治・大正・昭和の戦中戦後の初等音楽教育について https://lib.kjc.kindai.ac.jp/pdf/2023-10.pdf
唱歌「故郷」の魅力について
日本の唱歌「故郷」 は、1914(大正3)年発行の『尋常小学唱歌 第6学年用』に初めて掲載されました。
この曲は、日本人の心に深く刻み込まれた歌で、時代を超えて愛し続けられています。この歌の魅力は、懐かしさと郷愁を呼び起こすその美しいメロディーと、心に響く歌詞にあります。
まず、「故郷」の歌詞は、自然と故郷への思いを繊細に描写しています。 故郷の山や川、小さな村での子どもの思い出、そしてその場所への帰りたい気持ちが、シンプルです。この歌詞は、日本の自然や四季の移ろいをじっくり考え、聴く人に自分自身の故郷を思い出させる力を持っています。 特に都市部で暮らす人々や、故郷を離れて長く暮らしている人々にとって、この歌は特別な意味を持つと思います。
この歌は3拍子で音程の幅も広くないので、誰でも歌いやすいため、外国の人々にも人気があります。
イタリアの有名なオペラ歌手も、日本でのコンサートの時に、リクエスト曲として歌う声楽家も多くいます。国は違っても故郷に対する思いは世界共通だと思います。
🎵 イル・ディーヴォが歌っている動画はこちらです。》https://youtu.be/256Bq6hVjfw?si=A2OQ3WmTs3fWLfgj
🎵 高野辰之記念館が長野県に有ります。高野氏の生家があり、「故郷」の歌詞にある山や川の景色が感じられるかも知れません。》https://g.co/kgs/KaeGWRh