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🎶「小さい秋みつけた」 の歌詞・意味【詩人 サトウハチロウ]について

澄み切った空の青さが、少しずつ高く感じられるようになりました。朝晩は肌寒さを覚えるようになり、夏の賑やかさが遠のいて、街全体がゆっくりと息をついているようです。

過ぎ去った夏の熱気と、来るべき冬の厳しさの間で、この季節はいつも静かに、そして豊かに佇んでいます。秋。それは、自然がその色と音、そして匂いを最も巧みに使い分け、私たちに「変化」の美しさを教えてくれる季節です。

秋の訪れを最も象徴するのは、やはり色彩の変化でしょう。空は、あのまぶしい夏の青から一転、澄み切った鉛色や、夕暮れ時には深く濃い茜色へと変わります。そして、主役は木々です。

緑一色だった山が、まるで誰かの絵筆で一気に塗られたかのように、赤、黄、橙のグラデーションに染まり始めます。それは、次の再生に向けて静かに力を蓄えるための、一種の儀式のように感じられます。

「小さい秋見つけた」の誕生

童謡「ちいさい秋みつけた」はサトウハチロー作詞、中田喜直作曲の、日本の秋を代表する名曲です。 

【歌詞 】

1,だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

目かくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
呼んでる口笛 もずの声

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

2, だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

3、だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

むかしのむかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
ハゼの葉赤くて入日色(いりひいろ)

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

この歌は、病床から窓の外の景色や音を通して「小さい秋」を感じたサトウハチロー氏の体験が元になっているとされています。

「小さい秋見つけた」は、作詞家・サトウハチローが、火傷の後遺症で家にこもりがちだった幼少期に、身近なものから秋を感じ取る様子を歌ったものです。歌詞には、聴覚(もずの声、口笛)、視覚(紅い葉)、触覚・嗅覚(すきま風)を通して感じられる「小さい秋」が描かれており、全体として、寂しい幼少期の中にあった母親との大切な思い出や、ささやかな自然の美しさを表現しています。

詞の解釈

  • 「誰かさんが」と「小さい秋」が3回繰り返される構造が、探し求めている様子や、見つけた時の喜び、ささやかな感動を表現しています。
  • 「誰かさん」の正体:歌の語り手である「誰かさん」の正体については、作者ハチロー自身という解釈が有力です。
  • 「小さい秋」の具体例
    • 一番::「誰かさんの口笛やもずの声が遠く小さく聞こえてくる」といった音で感じ取った秋
    • 二番::「すきま風がさむい」という肌で感じる秋。
    • 三番::「紅いハゼの葉の色」といった目で見る秋。
  • 母親との思い出:歌詞の随所に、幼少期に火傷で寝込んでいたハチローを、母親が看病してくれた思い出が込められていると考えられています。
  • 比喩的な表現:「とかしたミルク」を母親の面影、「むかしの風見の鳥」を母親に連れられて行った教会の屋根にあった風見鳥と解釈する見方があります。

歌詞に出てくる「ハゼの葉」

ハゼ

ハゼは、ウルシ科の落葉高木で、秋に鮮やかに紅葉し、「はぜ紅葉」として知られます。果実から採取される「はぜろう」は、和ろうそくや化粧品の原料になります。樹液はかぶれることがあるため注意が必要で、肌の弱い人は触れないようにしましょう。 

作詞:サトウハチロウ 作曲:中田喜直について

サトウハチロー(作詞)と中田喜直(作曲)のゴールデンコンビと言われています。
二人はその他にも、「かわいいかくれんぼ」や「めだかの学校」など、多くの日本の美しい童謡・歌曲を生み出しました。 

作詞:サトウハチロウ(1903年生~1973年没)

日本の詩人、作詞家、作家。本名:佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男山野三郎玉川映二星野貞志清水操六清水士郎清水洋一郎並木せんざ江川真夫熱田房夫倉仲佳人倉仲房雄、などがある。(多くの別名をもっていてびっくりです。なぜかは分かりませんが、、、)旧制早稲田中学校中退後、旧制立教中学(現:立教池袋中、高等学校)へ転入。作家の佐藤愛子は異母妹にあたります。

父は、小説家の佐藤紅緑。母はるは、現在の仙台市出身で、河北新報社の創業者の一力健治郎の義妹にあたります。中学に入学後、紅緑が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり離婚する。父親への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねました。ゆえにサトウハチロウは不良だったと言われていますが、父親が他の女性に走り、母を捨てたという、感受性の強いハチロウの心には耐えられないものがあったのでしょう。

その後、感化院(現在の児童自立支援施設)があった小笠原の父島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響をうけました。後紹介で西城八十(日本の詩人、学者)に弟子入りし童謡を作り始め、多くの作品が読売新聞に掲載され、才能が開花されていきました。
1930年代ころから、童謡や詞にとどまらず小説や映画の主題歌なども盛んに執筆しました。
その後、NHKのラジオドラマの原作やラジオ番組の連載の原作を担当したり、活躍していきました。

その活躍を認められ、「ちいさい秋みつけた」を作詞、1962年にレコード大賞童謡賞を受賞、
1963年にNHK放送文化賞受賞、1966年に紫綬褒章を続けて受賞しました。
また1973年には勲三等瑞宝章を受章しました。

作曲:中田喜直(1923年生~2000年没)

父親は「早春賦」(このブログに掲載)で知られる作曲家の中田章です。喜直は三男であり、親族は音楽一家であります。歌手のはいだしょうこさんは最後の愛弟子と言われています。

父が音楽家だったため、幼少より作曲等音楽に興味をもったが、物心がついた頃には、父はすでに病床に伏しており、音楽については兄の一次から教わったそうです。後に東京音楽学校(現:東京芸術大学)予科に入学、翌年に本科器楽部ピアノ専攻に進学しました。


終戦後、歌曲の伴奏を務めるかたわら、作曲家としての活動を本格的に開始しました。NHKラジオ歌謡の番組にも携わり、「夏に思い出」(このブログに掲載)や「雪の降る街を」などを生み出しました。多くの作品は現在でも歌われています。一方で、晩年は自らの作品のみならず、古くからの名曲の普及にも尽力するようになりました。

動画

♪合唱なども、面白い構成になっていますので、載せてみました。

♪今ではカウンターテナー藤木大地とギタリストの村治佳織さんも世界的な演奏家でいらっしゃいます。👇の動画では、藤木大地さんのお話も聞けます。

※カウンターテナーとは

カウンターテナーとは、男性が裏声を使って女声のアルトの音域を歌う歌手のことです。女声パートのアルトやメゾソプラノのパートを歌い、バロック時代の教会音楽などで女声の代わりに用いられていた歴史があります。 女性の声とは違う魅力があります。この声種を持つ人数少なく、男性の持つ力強さがあるので、ダイナミックにも歌える大きさがあると思います。オペラにも使われています。

まとめ:「小さい秋みつけた」 時代変わっても自然は同じ!!

公園のイチョウの葉が、たった一枚だけ、他のどの緑よりも先に黄金色に染まっていたり、いつもの散歩道の片隅で、誰にも気づかれずに彼岸花が深紅の炎を灯していたり。

あの夏の太陽を一身に浴びた結果が、この静かで、しかし情熱的な色づきなのだと思うと、生命の営みそのものがいとおしく感じられます。そして、夜空が澄み、夕焼けのグラデーションが一段と深くなるのも、この季節の空の優しさです。

秋は目だけではなく、すべての感覚に訴えかけてきます。風が運んでくる、かすかに湿った枯葉の匂。早朝の散歩で踏みしめる、落ち葉のサクサクという音。秋は五感でも感じられますね。